yohn's blog

日々考えてること、勉強してること、買ったものなど

スローメディアとしてのロシア文学

2014年に取り組んだテーマは「インプットの増大」です。

TSUTAYAの月額DVDレンタルに登録して、月10本位映画を観た。

これは効果があって、だいたい気になっていた映画は観れたし、新作を追いかけていても当たり外れが激しいことがよくわかった。

だいたいこういうものだよね、という感覚が身についた。

今年に入って急に観る時間が無くなったのでぼちぼち解約するつもりです。

映画に対する優先順位が下がったという面もあります。

 

2015年のテーマは、「スローメディア」です。

ネットのような速いメディアを減らして、もっと遅いメディアを増やそうと考えています。

小説を読むとかですね。

去年までも本は読んでいましたが、ビジネス書の新刊などが多かったので、じっくり読んでじっくり考えるということが無かった気がします。

1週間かけて読んで、1週間考えるくらいのペースがいいかなと。

 

そこでまず買ったのが、トルストイの「戦争と平和」です。

 

戦争と平和〈1〉 (新潮文庫)

戦争と平和〈1〉 (新潮文庫)

 

 

4巻まであって、1冊600ページあります。

とにかく時間がかかるので、これでネット時代の早さからペースを落とそうと思います。

 

ロシアの文豪トルストイの代表作ですが、「アンナ・カレーニナ」の方は読んじゃいました。

今の段階ではこちらの方が読みやすくて面白い印象です。

 

 

アンナ・カレーニナ〈上〉 (新潮文庫)

アンナ・カレーニナ〈上〉 (新潮文庫)

 

 

アンナ・カレーニナ〈1〉 (光文社古典新訳文庫)

アンナ・カレーニナ〈1〉 (光文社古典新訳文庫)

 

 

ドストエフスキーの方は、「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」は読みました。

 

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

 

 

罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)

罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)

 

 

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

 

 

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

 

 

ドストエフスキーの代表作で読んでないのは、「悪霊」です。

これは次に読みたい。

 

悪霊 (上巻) (新潮文庫)

悪霊 (上巻) (新潮文庫)

 

 

悪霊〈1〉 (光文社古典新訳文庫)

悪霊〈1〉 (光文社古典新訳文庫)

 

 

まあ、ロシア文学(あるいは世界の文学の)最高峰は「カラマーゾフの兄弟」なので、それを読了していれば、あとは楽です。

 

特にドストエフスキーは光文社古典新訳文庫の亀山訳が出てから、読みやすくなったんじゃないでしょうか。

 

僕は少し古い訳の方が頭に入ってくるので、新潮文庫で読んでいますが、まあそのへんは好みですね。

「悪霊」も新潮文庫版にするつもりです。

 

この頃のロシア文学の質と、時間の感覚の長さは凄いですね。

とにかく寒いから、家で長い小説を読んだり、深く宗教的なことを考えたりという生活だったんでしょうかね。

 

 

実名と匿名(ハンドルネーム)

今年に入って、WordPressによる自前のブログを始めた。

実名でやるものなので、どちらかと言うと仕事のプロフィール的なものです。

 

基本的にはネット上の活動は実名に集約させた方がいいと思う。

Twitterも実名アカウントの運用を始めた。

 

しかし、だからといって匿名・ハンドルネームのものが不要かというとそうではない。

実名とリンクされたくないというわけではなくて、私のことを実際に知ってる人ならわかるというレベルの匿名具合です。

やはりそれって必要な気がする。

実名だけだと、どうしてもオフィシャル感、ビジネス感をいうものが出てしまうので、ちょっとした思いつきなどを書くことができないような気がする。

 

何かリアルの活動とリンクする場合は実名の方がいい。

しかし、ネット上で活動が完結する場合は別にハンドルネームでもいいんじゃないかなというのが今の考えです。

私だったら「yohn」さんってことで通用するわけです。

 

これはリアルとネットの活動の種類が一致してくればくるほど、実名でやった方がいいという圧力が発生するから、自然に移っていく気がします。

 

私の場合は、活動範囲が大きく変わってきている時期なので、実名でブログをやらないといけない時期になりました。

だけど、こういった昔からやってるハンドルネームによるブログも必要です。

実名でのブログからはこぼれ落ちる考えや意見といったものを綴る場所が必要なわけですね。

 

仕事場とオフで話すことの使い分けは、そりゃあまあ必要だよねってことですね。

 

 

 

資料としての本

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最近仕事用の本を買うことが増えた。

調べていることや、講義で使うために、同一分野のまとめ読みというのが必要になるわけだ。

 

司馬遼太郎が新作を書くときには、古本屋街からその時代の本がごそっと無くなるので、「司馬さんは次はあの時代書くんだな」ということがわかったらしい。

まあもちろんそんなレベルではないんだけど、5~10冊は読み比べて、自分の頭のなかにマップのようなものを作ることが大事だ。

 

当然読み方は変わってきて、熟読することは少ない。

ざっと読んで気になるところは付箋を貼る。共通する部分がかなりあるのでそこは読み飛ばす。それが無駄かというとむしろ逆で、どの本にも書いてあることは重要だということがわかるので1冊で済ませようとすると回り道になってしまう。

 

本をまとめ買い→まとめ読み→ノートにまとめる→原案考える→草稿を作る→本番、といった流れができてきた。

こういうのをやってみて、作家やライターといった人は資料部屋が必要なんだなということがよくわかる。

 

普通の本好きの人と違って、大量に本が増えるし、ある程度保存しておく必要がある。

読むというより参照する本が増えていく。

 

私の場合は、極力ブックオフやアマゾンの中古本を使うわけなんだけど、書籍費というのが跳ね上がりますね。

また、手元にどっさりあるというのが大事なので、図書館で借りるということができない。

 

なんだか読書が趣味だったのに、材料の仕入れをしてるみたいで微妙ですね・・・

 

 

 

 

投資としての読書

  去年(2013年)は図書館で本を借りるルーチンがはまって読書量だけは増えた。

 しかし、それだけでは今ひとつ成長しないなと感じていたので、今年はやり方を変えようかとぼんやり考えていた。

 

 こういうときはあれこれ悩むより状況の方が先に変わることが多い。私の場合も、勉強してることが増えたので、資料としての本をどっさり買うことが増えた。

 そういうときはちまちま買ってもしょうがないので、同一分野のまとめ買いをする。だいたい5〜10冊は買うことになる。当然似たような内容だな、と思うことも多いんだけど、そういう部分が基礎だし、何よりだんだん読むスピードが早くなるので精神衛生上良い。

 これが、図書館で予約して入荷するまで待ったり、ケチって1冊とかではあまり効果がない。一つのことを理解するなり、人前で喋るなりするには、まとめ読みで全体像をつかむ必要がある。

 

 昔、古本屋街で、どかっとある年代の本が無くなると、「ああ、司馬遼太郎さんがあの時代のこと書くんだな」というのがわかったらしい。文献を片っ端から集めて読んで、そうして全体像を理解してから書いていたようだ。

 

 もちろんそんなレベルではないんだけど、一つのことについて5冊というのは守りたい。まとめ読みなので消化したら、一気に手放せるし。

 

 こういうとき、昔は図書館や古本屋めぐりをしなければ集めるのが難しかった。ほぼ資料集めが仕事みたいな面もあった。

 しかし、近年はアマゾンをはじめとする中古本が簡単に買えるというのが便利だ。しかも、古い本だと1円になっていることが多いので格安で手に入る。

 私も今回注文したのは、6冊で1,800円くらいだった。探すことを考えると超安い。

 

 他にはブックオフオンラインも使う。こっちはわりと新しめの本を買う。私と同様に同一分野まとめ読みというのをやっている人がいるわけで、そういう人が勉強を終わった後に売るところがブックオフなわけです。

 なので、ちょうどWordPressの本がたくさん在庫があったのでまとめて買った。たぶん一人がまとめ売りしたような気がする。

 

 こういう資料としての本は、「投資」にあたる。明確な目標なりアウトプットなりがあるので、お金を使いやすい。その時を逃すと意味が無くなるというのも迷わない要因だ。

 その投資としての読書のループが回りだすと、色んなことが動き出す。

 

 しかし、「消費」としての読書だと、逆に流れが淀む感覚がある。読んで面白いし役に立ってるようなんだけど、アウトプットが無い。しかも、期限というものがないからいつまでも本棚に置いておくことになる。そして、読みきれない本は積ん読状態になってしまう。

 

 とにかく、アウトプットをしなくてはどんなことも流れがつまるっていうことだと思う。

 他のことでも同様に貯めこむだけ、インプットだけ、というのはだんだんと重荷になっていく気がする。

 

 本っていうのはストックかなと考えていたけど、フロー化することが大事なのかなと考えました。

 

 

27インチモニタが届きました。

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 前々から欲しかった27インチモニタが届きました。

 LGの27EA33V-Bというやつです。

 

 とにかくデカイです。11インチのMacBook Airをつないでみると、iMacの大きい方とほぼ同じです。解像度とかは違うんだろうけど。

 

 思ったより広く使えて快適ですが、今のモニタって外枠が薄いし、重量が軽いです。フツーの液晶テレビが32インチとかだからそれよりも薄くて軽い印象です。部屋の中で移動させる分には問題ないです。

 

 15インチのノートパソコンをどんと置くよりも机の上は広く使えますね。大きいこたつをパソコン机としてつかっているので、キーボードをどけたら書類仕事が十分できるスペースがあります。

 

 問題は、明るさを最低にしても目に負担がかかりそうなところです。

 JINS-PCのような効果が得られる、色温度を黄色っぽく変えれるソフトを入れてますが、まだ明るく感じます。

 ノングレアなので映り込みがないのは快適なんですが・・・

 このへんはもう少し使ってみないとわかりません。

 

 22,000円で27インチなのでまあ安い買い物だと思います。

 2台目を買うよりは、モバイルノートをモニタにつなぐというのはなかなかいいんではないでしょうか?

 まあ次はデスクトップを買おうと思ってますけどね。

 

 というのも実はデスクトップパソコンの方が便利じゃないかなと思い始めたからです。

 昔はパソコンデスクにCRTモニタのデスクトップパソコンを置いていました。そこからモニタが液晶化しました。そうすると、15インチくらいのノートパソコンでいいんじゃないかという風潮になって、それが今でも続いています。

 

 しかし、15インチの場合基本的に持ち運ばないわけで、だとしたら、キーボードが使いやすくて、机の上が広く使えるデスクトップに回帰するんですね。

 ワンルームとか書斎が狭いというならまだしも、デスクトップ的に使うノートというのは使い勝手を犠牲にしちゃうわけですね。

 

 というわけで、今も広い画面でブログを書いてます。

 なかなか快適です。

 

 

LG Electronics Japan 27インチ フルHD(1920×1080)+AH-IPS液晶+LEDバックライト搭載モニター 27EA33V-B
 

 

 

 

ネット断捨離

 ネット断捨離を始めた。とにかくネットの時間を減らさないとなにもできないと気づいたからだ。

 

 今までうまくいかなかったんだけど、普段見ているサイト(SNSなどもね)を、1日置きにアクセスするようにしてみたらうまく行き始めた。

 なんとなく頻度を減らそうとするより、その日は見ないと決めてしまうと「あ、今日はダメだ」とストップがかかる。明確な基準が大事ってことだ。

 

 これができるようになると、3日に1回、1週間に1回と減らしていくことは可能だ。朝や夜しか見ないという方法でも一応基準はあるわけなんだけど、つい時間がずれてしまって長くなるというおそれがある。

 

 ただ、パソコンはそれでうまく行っても、スマホという難題がまだ残っている。

 スマホというのは、起きたときやふと休憩したくなったときなど、集中力が切れたときについみてしまうことが多い。元々ダラダラ見てしまいがちなもののような気がする。

 私の場合、駅や電車内では見ないというルールを決めていて、それはちゃんと守っている状態だ。だけど、ふとしたときに無意識に見てしまってダラダラと時間が経つということが多い。パソコンよりも、小さい画面に没入してしまう効果が大きいと思う。

 

 もう少し進めて、本を読んだり、ノートを書いたりする時間を増やしたい。

 とうとうテレビの録画すら消化できなくなってきたので、なんとかしたいもんです。

 

  

断捨離に終わりはない。

 もはやライフワークと言ってもいい部屋の片づけが進んでいます。

 私の場合、服、本、書類の3分野が膨れ上がってどうしようもなかったです。

 しかし、年をとると片づけやすくはなるみたいです。

 

 服は、だんだんとカジュアルなものが似合わなくなってきたので、普段着にもシャツを着るようになりました。そうすると、3分の2くらいには減らせます。

 色も白黒紺茶グレーといったベーシックなものが多くなってきたので、数は少なくても組み合わせやすくなってます。より一個一個が部品化してるイメージですね。

 

 本は、まず入ってくる量を抑えました。図書館を活用してます。というか、図書館が返却期限を切ってくれてるから読んでるようなもので、買った本はそのときの勢いで読みきれなかった場合はなかなか消化できません。

 また、出口としては、ブックオフの宅本便を使ってます。ネットで申し込んだら当日または翌日には取りに来てくれます。ダンボールを一箱置いておいて、ある程度たまったら連絡するという方法にしています。

 

 書類というのは、プリントアウトしたものや自分で書いたもの、もらったレジュメなどで、これがかなり多いです。徹底的にScanSnapEvernoteに放り込んで、資料関連は思い切って捨てています。これが一番大変です。

 かさばるわりに再利用しません。だけれども、読んでみると内容があるので捨てられないというパターンです。

 分解して考えると、

 ・容量→多い

 ・再利用可能性→低い

 ・有用性→高い

 ということなので、そのもの自体の価値とそれを私が持つことの価値がごっちゃになってるわけです。こうしてみると、持っておかなくてもいいわけだと納得できます。ただ、1年使ってないだけでは踏ん切りがつかなくて、2年だと捨てれます。なかなか難しい。

 

 私の場合、ゴミは元々少なかったので、有用性が低いものをため込むということはなかったようです。しかし、そのおかげで物を捨てるとっかかりみたいなものが少ないんですね。最初から選ぶ負担が発生してしまいます。

 

 次の段階は、持ち物の適正量を把握することでしょうか。明らかに今持ってるTシャツは多いです。持っておく数を決めるというのが良さそうです。

 Evernoteに写真を入れておくというのも手ですね。一覧にすると数を増やさなくなります。ネットで公開してしまうのもいいかもしれません。

 

 蔵書を公開するのもありですね。読んだ本をメディアマーカーで記録していますが、「今持っている本」ということで書棚を公開しておくと、この本はいらないよなということが見える化しそうです。

 

 減らすためのネット本棚というのはいけそうです。同様にネットで公開されるクローゼットというのもありですね。

 買った日を登録したら、古いパンツや靴下をまだ使っているというのがばれちゃうとかね。

 使用頻度とかも出せそうです。1回あたりの金額も当然計算できるので、10万の上着を買ったけど、しょっちゅう着るから投資効率はいい、とかがわかりそうです。

 

 なんにせよ、見える化するってのが何事でもポイントになってきますね。

   

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