つながらない権利
昭和生まれのオッサンが見てきたインターネットの世界 - ま、こんなもんでしょ
だいたい同じ世代なので面白く読みました。
私の場合は、PC-8801FAが最初で、その後オンラインゲームはやりませんでした。
テレホーダイの時間起きてるのが辛かったので。
で、面白かったのが、mixiができたときに既に懐かしさを感じていたところです。
mixiには、2000年以降良くも悪くも一般化されたなぁ~と思っていたインターネットに、90年代末期のあの濃さが戻ってきた感じがした。非常に懐かしい感じで、一度離れていたひとともまたmixiで繋がり直す。そんなmixiを俺は「出会い直し系」と感じつつ、mixi中心のコミュニティをネット上で築くことになった。
最近のSNSが「初期のmixiのような盛り上がり」を再び得られるというメリットをうたいがちなんですが、既にmixi自体も昔のネットコミュニティの焼き直しだったんですね。
こうしてみると、ネットコミュニティの賞味期限は3年と言われてることが納得できます。
新しいサービスかどうかよりも、単に初期に入ってくる人だけで集まれたら面白いっていうことですね。
いわゆるアーリーアダプター層まででコミュニティができたら、余計なことで絡んでこないし、コミュニケーションも円滑で刺激が多いってことだと思います。
となると、次の新しいサービスを考えるよりも、どうやったらそういう面白い状況を維持できるのかを考えた方がいい。
でも、そのサービスの再活性化を考えるのは間違いです。同じ人だけだったらだんだんマンネリ化するし、新しい人を入れていけば当然つまらなくなるという今までのサービスの衰退を辿るからです。
そうじゃなくて、自分個人として面白い状況を維持できていればいいわけです。
1,コミュニティを渡り歩く
パソコン通信のフォーラム→mixi→Facebookなど、のようにアーリーアダプター層がいるところを渡り歩くのもひとつの手です。
しかしこれだと衰退期がつまらない。
2,自分でコミュニティを作る
いっそのこと自分が中心になるのはどうでしょう?
これは面白さは作り出せるかもしれませんが、管理コストが膨大になります。
ではどうすればいいのでしょう?
私の感覚では、現実をマネするのが一番いいかなと思います。
ネットの利点って「誰とでもつながれる」ことです。それがメリットであり、ネットコミュニティの「売り」でもあります。
しかし、それが実はデメリットなんですね。「誰とでもつながらなくてはいけない」わけです。
現実世界では、自分の周りには親密度によって「つながりやすさ」が何層もあります。
そこを自分で選択できます。
余談ですが、学校でのいじめや職場うつというのは、遠ざけたい人が強制的に近くにいるからだと思います。
一方、ネットではせいぜいFacebookの「友達」に入れるか入れないか、Twitterのフォローするかしないか、くらいしかないです。
つながりのオンオフしかないんですね。
そうなってくるとどうしても、顔見知り程度の付き合いしかしたくない人とのコミュニケーションが負担になってくるわけです。
私はこないだ、実名でのビジネスブログ的なものを始めました。
最初は面倒かなと思っていましたが、意外とそうではない。
なぜかと言うと、デフォルトが「顔見知り程度」の人との距離感なんですね。
だからこっちも敬語だし、つながる人も「こんにちは」から始まって、質問がある場合でも「もしよろしければ教えて下さい」といった距離になります。
それであれば、多くの人とつながってもラクです。
というわけで、Facebookにしても親密度が3段階くらいあったらいいのになと思います。
しかもそれが非対象であればなおいいですね。
女の人の場合、プライベートで友達と食事してる写真は知り合い程度の男性には見せたくないと思います。
一方男性側でも、そういう写真は見たくないという人も多いです。
であれば、公開度を1から3くらいまで設定できて、受信設定も1から3にできたらいいわけですね。
「プライベートも全部見せていい」Aさんと、「普段なにしてるかも知りたい」Bさんの場合は、Bさんは全部見れます。
逆にBさんは、「Aさんのことは興味あるけど、自分のプライベートは恥ずかしいから見せたくない」ということも成立します。
まとめると、「疎遠な人とのSNS」があればいいわけです。
「つながりにくさ」が売りになるわけですね。